自己分析の始め方は、経験を洗い出す事 │ サラリーマン(会社員)から不労所得の構築へ!

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皆さん、こんにちわ。「ぷっちょ@リーマンから不労所得構築まで。」です。
今日はあなたが自己分析を進めるにあたり、その始め方について解説したいと思います。そして、自己分析ではあなたの土台や軸、核(コア)となるモノを探求し続けることが重要なのですが、「短期間で、軸が見つかると思おうとしない」ということが、重要になってきます。私の経験談を交えながらシェアしたいと思います。

 

 

 


【直ぐには何も変われない。時間をかけるべき】


私は、理系卒です。大学院まで生物系の研究をしていました。日々、ビーカーで大腸菌を振ってプラスミドを生成していました。シャーレにヒト細胞を飼って、あるたんぱく質の機能解析を、夜な夜な行っていました。
その状況から今は、メディカル系ベンチャーに参画していて、複数社を兼務しています。パラレルワーク、という自由な働き方をしています。役職も、部門のマネージャーから、企業の取締役、また個人投資家という立場で、参画しています。メディカルは、心底やりたいと思える業界になりました。

 

ここまで来るのに、数年、という話ではないのです。実に、10年という時間をかけてきました。長期的な視点を持ちましょう。

 

しかも、10年の間に、色んな経験をしてきました。色んなチャレンジをしてきました。それで、ようやく10年に収まった、という感覚でしょうか。大学院から数えると、本当に経験値はすごいと思います。ご参考までに、書き綴ってみますね。お伝えしたいことは、行動して経験を積み、自分を研ぎ澄ましていってほしい、ということです。必ず、行動が伴った経験値が必要です。何も、大層な能力は必要ないのです、単に自分の意識に従って、行動してみる、だけです。

 

これは、今大学生や第二新卒の方で、就職活動(就活)や転職を検討されている方に対して、『現時点で、あなたが本当にやりたいこと』を見つけるには、時間的にも情報という観点においても、無理がある、ということをお伝えしています。ですので、私もそうでしたが、就活や転職活動をされている間は、必死で自己分析をして、その中であなたが納得できる『仮の答えを出す』ことが、とってもとっても大切です。その仮の答えを持って、次のステージに進むと、将来的には、確固たるあなたの軸が、見つかってきます。

 

次に、私の経験をシェアしつつ、どのように私の軸が定まってきたのかをご覧頂ければと思います。紆余曲折です(笑)。そして半年1年という短期間では、なにも決まりませんでした。私は10年という歳月を費やしました。。。ただ、これが、正常な姿だと思います。

 


【例えば、私の経験はこんな感じ】


◆現役時代、ある国立大学に落ちた。関西の私立には受かっていたが、行かない、という意思を、両親にみせた。結果、良かった
◆神戸の駿台で予備校時代を過ごした。六甲や灘など、とんだもない輩を目にした。到底及ばないが、とんでもなく上を見れる環境に、感謝した
◆学部では、一切の授業には、出なかった。試験前夜に、一夜漬けの日々を過ごした。それでよかったと、今でも思う
◆学部時代とは打って変わって、研究室に配属されてから、1日16時間を、研究に捧げてみた
◆基本的に寝る時間だけなので、下宿先は、月1万2千円の超古民家にしてみた(このサイトとはあまり関係ないですが、、、)
◆2年間、馬車馬のごとく研究をしても、一向に良い成果が出ないのを目の当たりにした。努力するだけの自分にいら立った
◆一方で、1日中ラボに籠る生活に、あまり相性が良くないと気付いた
◆先輩の商社マンが、別次元にいることに、興味を抱けた。世の中をスピーディーに変える姿も気に入った
◆就活中は、友達の誘いでコンサルティングファームも受けたが、筆記で全部落ちた。ただ、何かの布石になると直感した
◆卒業前に、大学時代知り合った200人の交流会を企画してみた。企画側がしっくりくると、思った
◆卒業式、学長と大学院長の言葉を、当時印刷していた名刺に、必死にメモをしていた。その言葉が将来重要になると直感した
 学長:「これからも、自分に一流の栄養を与え続けてください。各業界の一流を味わってください」
 大学院長:「小さなjumpをし続けてください」
◆新卒で入った会社では、1年目に100回は飲み会をした。気の合う仲間は大切だと思った
◆社会人2-3年目は中国駐在を経験した。6か月で中国語検定(HSL)旧9級を取得できた
◆中国奥地の工場に寝泊まりする日々。中国人の白酒での乾杯に、朦朧としながら床に就く日々を送った
◆中国の政府重鎮とも会合を重ねた。ある業界のtopを君臨し続ける、董事長から、好かれた。気持ちが良かった
◆中国人の「愛」を感じた。「気配り」を感じた・「お客様」としてもてなしてくれた。成長させてくれた。恩返しをしたいと思った
◆仕事、プライベート関わらず、素敵な友が出来た。一生続くだろう、という感覚を持てた。改めて苦楽を共にする仲間の存在の大きさを感じた
◆ほぼ中国全土を周遊した。九寨溝や黄龍など、景観・文化に感銘を受けた。日本との繋がりも感じた
◆中国駐在の2年間、海外手当がついて、給与が2倍になった。経済的自由に魅力を感じた
◆帰国して拷問が始まった。やりたいことにフォーカスできない環境が、こんなにも自分を残酷に痛めつけるのか、と
◆帰国後の2年と1か月は、それまで感じたことのない、ストレスと味わった。自分の感覚に、逆らってはいけないんだと
◆2社目に転職するまで、1年をかけた。準備をした、新卒の就活とは比べ物にならないほど、時間と労力をかけた
◆2社目では、ドン底のドン底を味わった。いくら努力しても、まったく認められなかった。薄々感じてはいたけど、努力の方向性を取り違えていた
◆初めて、これまでの自分の経験なんて、たいしたことない、と思えた。その防衛本能を以下に解くか、苦労した
◆24時間365日、体がこわばっているのに気付いた時には、すでに失神していた
◆でも、あきらめることはしなかった。くらいついた。30枚の経営層に対するプレゼン資料の作成にフォーカスした。でも、自分が作成した資料の1枚も使われなかった
◆自分より5つも年齢が下の人の方が、パフォームする現実を受け止めたくなかった。でも、それは自身が何にフォーカスするのか、次第だと、悟った
◆うつになりかけた。全く、将来の楽しいことに、思考が向かなかった。根っからの楽観主義が、不思議と出てこなかった
◆でも果たして、他人と比べるために、両親が自分を生んでくれたんか?、そうではない、と直感的に悟った。自分だけの人生を歩むべきだ、と親からのメッセージを感じた
◆本を読みまくった。偉人と呼ばれる人が何を考え行動しているのかを知りたかった。youtubeも見た、共感できる人をフォローした
◆ある時、気づいた。これまで、全くの他人の人生を、必死になって歩んでたんだな、と。ストンと、腑に落ちた、そら楽しくないよね、と
◆商社時代の強烈にこみ上げる、今の環境ではない、という感情と、コンサル時代のドン底のドン底を味わって初めて、大切にすべきものが見えてきた
◆如何に、学生時代を甘えてすごしていたか。如何に、自分に覚悟がなかったか。全てが、腑に落ちた。もう大丈夫だと
◆決心した。やりたいことだけをやると。35年間、他人に尽くし切ったので、これからは自分を大切にしようと。自分をめい一杯愛でようと
◆気持ちが、本当に楽になった。いやなことはしない、と決めたから。そうすると、将来の展望が見えてきた。また、楽観的な、本来の自分がよみがえった
◆自分でキャリアデザインができるようになった。1社だけではないと気付いた。パラレルに人生を歩むべきだと思った。全ては、自分次第だと悟った

 

もっともっと、あります(笑)。

 

でも、あくまでこれらは私の経験であり、私の本来の性格だからこういった類の経験をしてきた訳で、こちらの記事をご覧いただいている方は、根本的には私とは全く人種が異なる可能性もあります。なので、上の文章をみて、私とは違う人種、と思うのではなくって、こういった内容も参考にしつつ、自分の場合の積極的な行動とは?を思考してみてください。人それぞれの可能な範囲での、自分なりの行動があるはずです。ここまで読んでいただいているあなたは、きっと大丈夫だと思います。既に、その内に秘めるpassionを持っている方なんだと、思っています。

 

行動が次の行動を生み、気づくととんでもないところに到達しているでしょう。応援しています。

 






 

 
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